サド侯爵の幻の手紙 至高存在に抗するサド

サド侯爵の幻の手紙―至高存在に抗するサド
著者名:フィリップ・ソレルス 鈴木創士・訳
発行年:1999年
出版社:せりか書房 
価格 :2000円


前半はソレルスによるサド論、後半はサドによる「架空の手紙」という構成をとる。
だが、前半のサド論は先行するサド論において描かれるサドのイメージの範囲に収まる程度のもので、はっきり言って退屈な文章である。
後半の「架空の手紙」にしてもサドによって描かれたという時代的なリアリティーを欠く文章であり、まるでサドが書いたように見えない(これは訳者の問題かもしれないが)。
まあ、読む価値なしです。

阿修羅ガール

阿修羅ガール 
著者名:舞城王太郎
発行年:2003年
出版社:新潮社 
価格 :1400円


<あらすじ>
好きでもない男とホテルに行ったアイコは、顔射されかかってキレ、男を蹴り上げて家に帰る。翌日友人たちに理由も分からずシメられかかったアイコは逆にそのリーダー格の女をボコボコにし、前日ホテルに残した男が誘拐され家に切り取られた指が送られてきたということを知る。一方、数ヶ月前同じ街では「三つ子バラバラ事件」が起きており、ネット上ではその犯人を中学生だと見なして「厨房狩り」が煽られていた・・・。

というか、あんまりあらすじは関係ないです(笑
物語はほとんど投げ出されたまま、何も解決しません。
ミステリーとして小説が語れるのかと思いきや、実は「女子高生の思弁小説」です。主人公の女子高生アイコが自らの言語の範囲内において愛や憎しみや人生について考える、というと真正直で臭いんだが舞城の勢いのある文体(前半の主人公の語りは恐らくはジュニアノベルの文体の延長上にある。自分で自分に突っ込む語り口とか)で描かれることによりその臭さは隠蔽されている。ところが、終盤に至って主人公が冷静になると途端に臭さが吹き出してしまう。それが、この小説の最大の欠点だろう。

むしろ、注目すべきは家庭内暴力をふるう男の独白の描写。これは凄い、一読の価値はある。ネット上で吐き出される悪意と妄想をそのまま文体化したような表現である。といっても、ネット上にはこの手の表現いくらでも転がっているんですが(笑 いや、それを意図的に表現しているから凄いのであって。。。

ストーリー展開はご都合主義の連発だが、もはや舞城作品に対してそういう批判をしても仕様がない。確信犯なんだから(笑

鱗姫

鱗姫―uloco hime    
著者名:嶽本野ばら  
発行年:2001年
出版社:小学館
価格 :1200円


<あらすじ>
美しい資産家の令嬢「龍烏楼子」は美に異様に執着するとともに醜形への恐怖に支配されていた。だが彼女には龍烏家の女子に遺伝する奇病「鱗病」という忌まわしい秘密があった。ある日ストーカーに襲われたことをきっかけとして彼女の病は急激に進行する。同じく鱗病を病む叔母に付き添われ世間から隔絶した隔離病棟を訪れた彼女はそこで重症の鱗病患者の姿を目にする。ただひとつ鱗病の進行を遅らせる方法、それは・・・。

作者はこの作品の中で、差別と美が密接なものであり、二十世紀の平等主義が美意識を破壊したと盛んに主張する。差別とは特権的な存在を認めることであり、異質な存在(怪物)にも怪物としてのアイデンティティを保証することであるという。故に、美意識に忠実に生きようとしたら孤独になると言いながら、主人公は己の美意識に反する他者を徹底的に拒絶するという傲慢な態度をとり、彼女が受け入れるのは兄と叔母という美意識を共有する近親者つまりは自分自身の鏡像のみである。

このような主人公をグロテスクに感じる私はおそらく骨の髄まで近代主義者なのであろう。だが、果たして「怪物としてのアイデンティティ」なんてものを当の被差別者自身は求めるのだろうか? その実、彼女の思想というものは「自分だけが特権者である」ことを望むということでしかないのだ。
私は特権的な美という傲慢よりも万人の幸福という偽善を選択するだろう。
たとえ全ての美が死に絶えようとも、我らは退屈に耐えるしかないのだ。

蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件

蟹の横歩き ―ヴィルヘルム・グストロフ号事件
著者名:ギュンター・グラス
発行年:2003年
出版社:集英社 
価格 :2100円


<あらすじ>
ダヴォスでユダヤ人青年に暗殺されたナチスの地域指導者ヴィルヘルム・グストルフ。彼の名をつけられたkdf船団の豪華客船グストロフ号もまた、大戦末期に東プロシアからの一万人近い難民を満載した航海の最中、ソ連の潜水艦によって撃沈される。その沈没の日は、奇しくもグストルフ自身の誕生日と同じであり、ヒトラーの権力掌握の日とも同じであったため、歴史上最大の海難事故であるにも関わらずその事件は長らくタブーとして語られなかった。
そして時は流れ、グストルフ沈没の最中に生まれた生き残りの一人である主人公は、ネット上で「殉教者グストロフ」を賞賛するサイトに出会う。そのサイトを運営するのは意外な人物であり、彼は自らの因縁と向き合わされることとなる・・・。そしてグストロフ暗殺をなぞるような事件が・・・。

 歴史と向き合うことの難しさをテーマとする相変わらずの一貫したグラス節である。良くも悪くも。グストルフ号に関しては史実のみが語られグラスの創作は主人公の存在に関して以外は差し挟まれないが、その史実と虚構との対位がまた史実のフィクション性を浮き上がらせる。美しい豪華客船を絶賛する当時のドイツ国民、大勢の難民が乗っていようとも多くの兵士も同時に運搬しているために躊躇うことなくその任務を果たしたソ連の潜水艦艦長、グストルフを暗殺することによりユダヤ人排除の口実を与えることになってしまうユダヤ人青年、そのすべてにそれぞれの真実がありそれぞれの歴史があった。歴史は生存者の口を通してしか語られないが、死者の歴史も沈黙者の歴史も存在してはいるのだ。全てを含めた形で語られない限り、歴史は再び繰り返すのだろう。

とりわけ、エンディングは苦い。。。

GOTH

GOTH―リストカット事件
著者 :乙一
出版社:角川書店
発行年:2002年7月
価格 :1500円


人間の暗黒面に興味を持つ主人公の少年と少女が殺人事件に関わるという連作短編集。
去年相当高い評価を受けた本という話だったのだが、うーん、イマイチ。

ストーリーテリングの技は上手いと思うのだが、ミステリとしては一冊の中で同じトリックが複数回用いられているなど欠点が多い。連作短編のうちで大半が叙述トリックというのは問題があるのではないか?叙述トリックは半ば反則に近いものであり、連発すると効果が落ちるということが分かっていないのだろう。

更に、ことごとく<泣かせ>に向かうのが、どうしてもいただけない。その点では、一番面白いと思えたのは表題の「リストカット事件」という作品かな、これは泣かせの要素がなく切れ味が鋭いから。<人間的ではない犯罪者>と<人間的な普通の人>を対置させる意図なのだろうが、特に「土」という作品において被害者の恋人がとる行動には吐き気さえする。この手の<非人間的な犯罪者>を描く作品の書き手としてこの作者は不適当ではなかったのではないだろうか。

異常犯罪者を<そのように育った>ではなく<そのように生まれついた>というように描いている点は興味深い。「永遠の仔」以降、異常犯罪と幼少期のトラウマを結びつけるような小説(小説だけでなくテレビや言論も)が氾濫していただけに、そのような犯罪の理由のなさを描くのは希少である。(余談だが、どこかのバカ大臣が「勧善懲悪を教える必要」などと発言していたが、そうではない。善悪の二項対立を越えた彼岸にある恐るべきもの、そういう存在がいるということをこそ認識しなければならないのだ。)

プラットフォーム

プラットフォーム
ミシェル・ウエルベック:著  中村佳子:訳
角川書店 2002年9月 
P.360 1800円


<あらすじ>

四十代の独身男である主人公は、文化省勤めとはいうものの会計管理が中心である仕事にも興味が持てず、取り立てて熱中するほどの趣味も無く、特定の恋人もいないため性欲の解消のためにはもっぱら資本主義的な手段を用いている。そんな彼が、父親を殺人事件により失ったことによって、ある程度まとまった遺産を相続する。彼はヴァカンスをとってタイへのツアーに参加し、そこでヴァレリーという素晴らしい肉体と稀有なる共感力を持った女性と親しくなる。旅行会社のエリート社員である彼女は新たなリゾートプロジェクトの企画について悩んでいたが、主人公の助言をヒントとして画期的かつ古典的なプロジェクトを立ち上げることとなる。だが、当然それには大きな落とし穴が・・・。


ウエルベックは前作の『素粒子』が素晴らしい作品だったぶん期待していたのだが・・・

前作同様の毒に充ちたウエルベック節は健在なのだが、欲望を煽り立て競争を促す高度資本主義社会の不毛を扱った前作の陳腐な焼き直しというか、主人公の出会うヴァレリーという女性があまりにも主人公にとって都合がよすぎて些か興醒めしてしまうのが最大の難点。まあ、このように虚構性に溢れた<都合のよい存在>が偶然現れるのではない限り現代の資本主義社会下に住む人間の不全感は癒されえない、と読める点が他のご都合主義小説よりは数段マシなところですが。
結局、そんな幸運に見舞われないその他大勢の欲求不満者たちがどう解決すればいいのかというと、これが「買春のススメ」なわけです。それもヨーロッパ男性の自信喪失を癒してくれるのは東南アジアの少女たちだけだ、ということらしいし(笑 僕ちゃんたちは、みんな癒されたいのだ! 競争にはもううんざりなのだ、金をめぐる競争にも、女をめぐる競争にも。

それに、なんといっても本書は男にとって都合のいい小説である前に、インテリにとって都合のいい小説です。主人公格は全員裕福なインテリで、それゆえに悩むという部分はあるのですが、ツアーの参加者は悉く間抜け扱いされ、パリ郊外の若者やアラブ系移民に至っては殆ど獣じみた犯罪者扱いされているのを読むと「彼らにだって悩みはあるだろうに」とさえ思ってしまいます。あくまでも、「白人のインテリ中年男性」という視点から見ての「物語」に終始していると言えるでしょう。むしろ、かつては主流だったそういう「物語」が回復不能であることをめぐる物語とも言えるのではないでしょうか。

一番笑えたのはイスラム教徒の若い連中がテロに走るのは「欲求不満」だからと断じるくだり。自分たちが性的に抑圧され欲求不満(先進国とは逆の方向での抑圧)だから、他人が快楽に耽るのが許せないという。実はこのことこそが中心を貫くモチーフだったりしますが。それにしても、ウエルベックの語り口は「この人は人種差別主義者なのか?」と思わせるほどにヒドイ(笑 
出版時に問題になったはずです。だいたい、この人ってフランスではベストセラー作家なのだそうですが、どういう文脈で読まれているのか少し疑問が浮かんでしまいます。移民排斥運動も盛んなようですし・・・

コレクター蒐集

コレクター蒐集 (海外文学セレクション)
ティボール・フィッシャー:著  野口百合子:訳
東京創元社 
2003年4月発行 
1500円


人格と変身能力を持つ「陶器」の視点から叙述された、女性鑑定家の真実の愛の探求の物語・・・って自分で骨子を書いててそれだけでイヤになってきた(苦笑
まあ、いいいや。。。

 <あらすじ>
主人公の女性骨董品鑑定家ローザが鑑定を依頼された骨董品は高度な知性を有しており彼女にかつての所有者たちの物語を見せるとともにローザの記憶をも逆に探ろうとする。ローザは一見非の打ち所のない女性だが、理想的な男性を求める余りにそれを手に入れることが出来ず、自分は不幸だという思いを募らせて恋愛相談をやっているコラムニストを井戸に監禁して助言を要求する。そんななか、ローザの元にニキという奔放な女性が同居することになり・・・。


知性を持つ陶器の語る挿話(革新的な偉業を達成するのだが、常に他人に一歩先んじられてしまい、結局狂った詩人を蒐集するという趣味に生きがいを見出す女性とか。)は面白いのだが、いかんせん中心となるストーリーが「ブリジット・ジョーンズの日記」か「アリー・マイ・ラブ」かってぐらいのものなんで、どうにも背中が痒くなる。エンディングにしても、なんじゃこりゃあ、って言いたくなるくらいのご都合主義だし。

ようするに、理想の相手を求めるっていうのも、コレクションと同じできりがない、ということなんだろうけど。成功に学ぶよりも上手く失敗することを学ばねばならない、という主張も語られているし。あまり解決にはならない主張ではあるね(笑 
作者も認めているように、それは成功者の思い通りにされてしまう、ということからは逃れ得てはいないから。


あと、翻訳が悪すぎです。原文は言葉遊びに充ちたユーモア小説といった感じなんだろうけど、翻訳がそれを上手い日本語に出来ておらず、ギャグが上滑りしているというような「さむい」小説になってしまっております。私が編集者であったなら、著者にも訳者にも書き直しを命じたと思います。もっと面白くなる余地は幾らでもあるのに、瑕疵が目立ちすぎて読むに耐えない残念な小説ですから。