『ねむり姫』

ねむり姫―澁澤龍彦コレクション 河出文庫









「ねむり姫」という澁澤龍彦の短篇がある。十四歳の姿のまま眠り続ける「珠名姫」は、盗賊となった腹違いの兄「つむじ丸」にさらわれ山中に捨てられる。その際、両手首を野犬に食い千切られた姫は、寺院に安置されるものの、やがて手に余るようになった僧侶らにより棺に納められたまま船に乗せられ宇治川へと流される。この後の展開は実際に読んでもらうとして、ここで注目すべきは「なぜ姫は両手を失わねばならなかったか」ということである。
当然、「船に乗せられて流される*1」というのは「補陀洛渡海」が背後に想定されている。それを裏打ちするかのように、姫が眠りに落ちるのは阿弥陀堂である。だがそれと同時に、私は「うつぼ船」に乗せられて流される二つの異形を思い浮かべる。一つは源三位頼政に射殺された「ヌエ」(世阿弥の鬼畜物の能「鵺」においても、ヌエの亡霊は舟人の姿で現れ空船に乗って去っていく)であり、もう一方は「水蛭子」である。この二つの異形は身体の過剰と欠損という形で表裏の存在である。
種村季弘は『畸形の神』において、北欧神話の鍛冶屋ヴィーラントのエピソードを紹介する。ミルチヌス王の孫ヴィーラントは、修行元であった小人の鍛冶屋を殺し「大木を空洞にした船」で川を下り逃亡する。そしてニドゥング王の元に身を寄せた彼は、王の家臣を殺したことによって両足の腱を切られて幽閉されることになる。
手と足の違いはあるものの、両者に共通するのは「異能の徴としての不具」である。そしてそういった不具の神は多くの場合海や川など水に深く関係するということも種村の描くところである。たとえば不具の神の代表的存在であるヘパイストスは、その不具と醜さによって母ヘラから捨てられた後、海の女神テティスに匿われて鍛冶の技を磨く。
種村の紹介するエピソードを踏まえて「ねむり姫」に戻るならば、「珠名姫」という名前にも注意すべきである。「珠名姫」の「珠」とは澁澤も書き記すように「海から産するもの」である(山から産するのが「玉」)。海から生まれた未分化の卵である「珠名姫」は川に流され海へ至ることで、母胎としての洞窟からの再生を再演し続けるのである。両手を失い眠り続ける姫はいうなれば「永遠の胎児」なのであり、彼女は生まれながら生まれない。そこにおいて、この物語はすべて彼女の、「胎児の夢」となるのである。
畸形の神 -あるいは魔術的跛者
 
 
 
 
 

*1:私がすっかり見落としていたことに「つむ」という言葉の問題がある。
『妙義抄』に「舶、ツム、今云、オホブネ」とある。
「つむ」と「つむじ」をかけているのと同時に「船舶」と「紡錘」をかけているのである。