サトラップの息子

サトラップの息子
著者名:アンリ・トロワイヤ
出版社:草思社 
発行年:2004年
価格 :1600円


<あらすじ>
レフ・タラソフ少年は、ロシア革命により家族とともにフランスへ亡命する。その途上で友人となったニキータという年上の少年とフランスで再会したレフは、『サトラップの息子』という小説を合作し始める。だが、ニキータの兄嫁からもたらされる性的な関心の芽生えとともに、二人からは『サトラップの息子』を完成させる意欲が失われていく。やがてニキータは家庭の事情によってベルギーへと去り、成長したレフはアンリ・トロワイヤという小説家となる・・・。

一見自伝小説のようであるが、様々な仕掛けに充ちた小説である。
小説の語り手はレフ少年ではなく、あくまで現在の地点での「アンリ・トロワイヤ」(という作中の作家)である。
レフとニキータは『サトラップの息子』を書くに当たって様々な文学上の意見を交わすのであるが、そこでニキータは「本物の作家は実際の出来事を書いたりしない(・・・)話を拵えるんだ。それが仕事なんだから!(・・・)人を面白がらせるには嘘をつかなくちゃ!」と語り、レフもまた「自分が小説の作者として知識不足なのではないか」という不安を抱えながらも「自ら経験せずとも、さまざまな情熱をわけへだてなく言祝ぐことこそ、本物の作家に備わっている特殊能力ではないだろうか」と述べる。
レフはさらに「真実を書くことが感動を生む」という文学観に反発し、文学における幻想の価値を擁護する。ここで問題とされるのは文学における虚構と真実のありようであり、ここにおいてこの小説は「果たして真実の自伝なのか」という疑問を読者に投げかけることとなる。レフはまた、小説を書くことによってはじめて記憶を生き生きとしたものとして思い出すことが可能となったりもするのだから。その記憶もまた虚構化された「物語」なのである。

そしてこの小説のもうひとうの軸は「亡命」である。アンリ・トロワイヤというペンネームで作品を書くことを編集者に要求されるレフは、ペンネームで書かれた小説を手にしてもそれが自分の小説であるという実感がまるでしない。そしてレフは他のロシア人亡命作家のもとを訪ねるのだが、亡命作家が祖国と同時に読者を失った「誰もいない場所」への二重の亡命者であることに気づく。
レフの両親もまた亡命しながら、つねにロシアに置いてきたものばかりを考える。そして破産によって思いでの品を失って初めて新しい生活に踏み出せるようになるのである。だが、レフには思い出すほどの過去がないために容易にフランスの生活に慣れ帰化さえすることとなる。そうであっても、トロワイヤというペンネームには実感が湧かない。作家にとって亡命とはまず言語の問題なのである。そしてその亡命もまた虚構化された「物語」としての亡命である。

アンリ・トロワイヤピョートル大帝エカテリーナの評伝により有名であるが、そういう人物が虚構性を前面に立てた自伝を書くということにはある種の面白さがある。それとは無関係に、感情を過度に語ることなく、まず行動をもって人間を語るという書き方は、古きよき小説の香りがして好感が持てる。こういう小説は幾らでも感傷的に書けるものなのだから。

そして最後にレフの言葉から引用する。

そして先人に倣って自らも「呪われた詩人」になることを夢見る。しかし、差し当たってリセに通う平々凡々たる生徒に過ぎない私は、呪いなどとは全く無縁で、常日頃、救いようのない自分の凡庸さを意識すると同時に、不満を漏らす権利は自分にはないのだとも感じている。なにせ暖かい寝床で眠り、腹一杯食うことのできる身分なのだから。

呪われた人生とは無縁であっても小説家にはなれる。
小説家の作品と人生とは一致するものではないのだから。