ダンボールボートで海岸

ダンボールボートで海岸  
著者名:千頭ひなた
発行年:2004
出版社:集英社
価格 :1300円


<あらすじ>
主人公のアオイは、ただひとりの肉親である母親が男と蒸発したために、大学を休学しフリーターをしながら何とか生活している。そこへ自称アーティストの友人であるハナが転がり込み、二人は共同生活を始めることとなる。さらに、アオイは女装癖のサラリーマンであるクロと知り合い、彼もまたアオイの家に入り浸るようになる。だが、記憶にないが確かな感触として存在する「海岸」を思い浮かべることだけに縋りながら日常をやり過ごしているアオイにとっては彼らの存在もまた・・・。

えーと、典型的なイマドキの小説ですね。
ジャンクな固有名詞を散りばめた軽い文体に、周囲との疎外というか、関係の中での生きづらさみたいなテーマ。ここでもまた、生きることの実感のなさなんてものが扱われているわけ。

現実逃避であることを知りながら、自分の内側の理想的な場所に縋らなければ生きていけない生き方。消費されることとしての人間関係。同性愛者であるハナと服装倒錯者であるクロを通して描かれるジェンダーと自分らしさという問題。そういうイマドキなテーマがわんさか散りばめられて、まさにイマドキ小説のお手本みたいです。

結局、主人公は自分が交換不可能な何かであることを信じることが出来ずに、日々をやり過ごすべくかえって日常の中に逃げていくのだが、それはつまり、日常の中には何も望まないということであり、日常の外にあるものを信じることで日常に期待せずとも何とかやっていけるということ。
でもって、ハナという登場人物を通して主人公のそういった「超越への期待」みたいなものは批判されるわけなんですが、このあたりオウム事件以降の小説らしい反省であるとは思います。大きな物語に期待するのは危ないぞ、という。
だけどさ、そうやって大きな物語を小説から排除しようとする態度もまた小説を貧しくしてしまうありかたなわけで、そういう部分が最近の小説のつまらなさ・世界の小ささに繋がっているんだろうなと感じてしまうわけなのであります。だからって、大きな物語を信じているわけじゃないけど(笑