しょっぱいドライブ

しょっぱいドライブ
大道珠貴:著
文藝春秋 
2003年3月 
1250円


<あらすじ>
生まれ育った寂れた漁村から出て近隣の小都市でバイト暮らしをする34歳の「私」は、幼い頃から「私」のダメな父と兄に食い物にされているにも関わらず快く援助をしてくれていた「九十九さん」という初老の男とドライブを繰り返している。しかし、心の中にあるのは、初体験にして唯一の経験の相手である、女と人生にだらしない舞台俳優の「遊さん」。だが「遊さん」の人生においては「私」の存在などないのと同じで・・・。


 娯楽も職場も何もなく、規定のコース以外の未来というものを想像することも出来ない、閉塞した田舎の漁村。そうした場所で生まれ育った、どこにいても仲間外れであることを感じるような、もはや若くはなく美しさも特筆すべき能力も何ひとつ持たない女。そして、人の良さ意外には魅力のようなものを何も持ち合わせていない、妻と子にも見捨てられたしょぼくれた初老の男。そういう二人の打算と妥協に満ちた関係(それはけして恋愛ではなく、むしろ結婚に近い)を、「毒の強い川上弘美」とでもいうような淡々とした文体でさらりと描く。
 そういう関係の中には、結局は自分も父や兄のように「九十九さん」を食い物にしているのだという罪悪感だったり、そもそも人間関係に期待していないという諦念だったり、そこから逃げ出した場所がやはり自分にとってふさわしい居場所であるという皮肉だったりが、含まれているように感じ取れた。

 悪い小説ではない。むしろ、よく書けた小説だとは思う。だけれど、どうしても日本の小説に感じてしまうイヤな閉塞感、日本文学というジャンルとしての閉塞感をこれまた強く感じてしまう小説であり、ちょっと私の好みではない。帯の高樹のぶ子の選評は「人間関係をきちんと描けた小説」みたいなことを言っていたが、そういうのはもういいんだ、人間を描く小説は20世紀遺物としてタイムカプセルに埋めてくれないか。私にとって小説とは構造である、文章である。それだけだ。