パークライフ

パーク・ライフ
著者 :吉田修一
出版社:文藝春秋
発行年:2002年
価格 :1300円


<あらすじ>
「私」は地下鉄の中で、つい知り合いのいない背後に話し掛けてしまうが、その言葉に一人の女性が返事をして彼の恥ずかしさを救う。その後、彼は日頃「なにもしない」時間を過ごしている公園で、彼女と再会し声を掛けて知り合いとなる。だが、「私」たちは互いの名前も職業も話すことはなく、ただ気まずさを誤魔化すだけのような会話が繰り返される・・・。

 2002年度(たぶん)上半期の芥川賞作品。近年ありがちな都市生活者の孤独を描くような作品と位置付けていいだろう。これを恋愛小説として捉えた書評をよく見たが、私にはそうとは思えない、むしろ恋愛の不在についての小説である。
 そこに読み取れるテーマのひとつは、「空っぽであることへの不安」であり、それは「何も隠すものがないから、それが嫌で何かを隠しているふりをする」という言葉や、臓器移植のポスター(女は「臓器が死後も生きつづけるなんて嫌」「自分の身体が借り物みたい」という反応を示す)や欠陥品の人体模型・ダヴィンチの誤りのある解剖図という肉体内部への言及にも表れているだろう。それらのギミックと相まって、登場人物たちの人間関係にはどこかグロテスクさが付きまとうこととなる、それほど特殊なケースが描かれているわけではないのにもかかわらず。

 女が最後に提示するものが、自らの育った地元を写した写真、つまりは「自分語り」であるように、彼らには語るべきものがない。(インターネット上の日記に象徴されるように、多くの人々にとって語ることが可能なのは自分のことだけなのだ。)
 コミュニケーションへの欲求だけがあって、伝えるべき内実も手段もない彼らにとって、「なにもしなくていい場所」である公園とは、周りと旨くやっていくために言葉を休ませる場所として位置付けられており、何もしないでいいことによって彼らは空っぽである自分をさらけ出すことが可能となるのだろう。

 だが、最終的には彼女は唐突に「決めた」という言葉を口にし、その場所を立ち去ることが暗示されており、それに対して彼は「明日も公園で待っています」と彼女に向かって叫び、公園から立ち去らないことが暗示されている。置いてけぼりにされても立ち去れないでいるという彼の姿に、私は限りない救いのなさを感じる。村上龍は「かすかな希望」を見出したらしいけど(爆)。

 にしても、これが芥川賞かー、微妙・・・悪い小説ではないし嫌いな方面でもないし、上手い小説ではあるんだけど・・・いまさら感の強いテーマだからなー(笑)