『マーティン・ドレスラーの夢』

マーティン・ドレスラーの夢
著者 :スティーブン・ミルハウザー 柴田元幸・訳
出版社:白水社
発行年:2002年7月


<あらすじ>
 19世紀の半ば、葉巻屋の息子マーティンはホテルマンとして出世していき、やがては自らもホテルのオーナーとなる。彼は内なる欲求に従い、より大きなホテルの建設を行い成功を得る。だが、彼は新しいホテルが完成するたびにそれに満足することが出来ず更に新しい建築への欲求を掻き立てられる。そして、彼は都市のすべてを内包し常に変化しつづける巨大ホテルを夢想し、地上三十階・地下十二層というホテルを作り上げる。だが、そのホテルに対し人びとは・・・・。


 基本的には伝統的な成長物語に沿って物語は展開される。そこに描かれるマーティンの夢(原題ではアメリカン・ドリーム)は、同時に現代を生きる我々の多くが抱える「より高く、より大きく」という際限のない拡大の欲望でもある。それは、ひとつの欲望がさらに別の欲望を呼び起こす、限りない夢についての物語である。
 物語としてのキーパーソンではないものの私に強い印象を与えたのは、現代という大量生産・大量消費の時代を象徴するような男として描かれた広告代理店のハーウィントンという人物である。彼は(所有し、創出する)外部の「もの」を通して自身を表現し、それにより彼の人格的なものは他人の記憶には残らない、ただ表出されたものだけが記憶されるのである。そして、彼の作り出す「広告」というものは、もともとなかったところに新たな欲望を出現させるのだ。
 そのようなマーティン・ドレスラーの夢=現代の夢は拡張しつづけた最後に破裂してしまうが、そのあとに描かれるエンディングは際限のない欲望の後にやってくるスローダウンという救いを提示している。それは未だに欲望に追い立てられている我々にとっても必要な救いの可能性ではないだろうか。

 マーティンの夢をメインプロットとしつつ、いつも倦怠に包まれ夢の中を生きているような美女キャロリンとその妹、知的で活動的ながら十人並みな容貌しか持たぬエメリンという二人の女性との関係が横糸として織り込まれる。彼はビジネスパートナーであるエメリンではなく何事にも興味を示さぬキャスリンという「厄介な歪みのある方」へしか欲望を抱けなかったことによって「愛というものの訳のわからなさ、物事を損ねてしまうその力への怒り」を抱くこととなる。愛という欲望もまた現代という時代の拘束から自由ではありえないのだ。