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著者 :綿矢りさ
出版社:河出書房新社 
発行年:2001年


<あらすじ>
女子高生の「わたし」は、何者にもなれない自分への焦りから、部屋の家財一式をゴミ捨て場に捨てて、学校へ行くこともやめてしまう。ゴミを捨てているときに一人の少年と出会い、彼は彼女の捨てたパソコンを拾っていく。やがて彼女は、少年に誘われ、少年と交替で風俗嬢のふりをして「風俗チャット」のアルバイトを始める。そして彼女は、毎日学校へいくふりをして無人の彼の家に入り込み、押入れの中に隠されたパソコンに向かってチャットをして日中を過ごすようになる。チャットでの一期一会に妄想の世界に置き去りにされるような感覚を受けたり、過剰な思い入れをぶつけてくるチャット相手にかえって生身の人間の姿を見出したりしながら、彼女の居場所が失われるときは近づいてくる。


17歳の現役女子高生が書いたということで話題になった「文芸賞」受賞作。
「フーゾク」やネットの匿名性という道具立てを用いた小説にしては、驚くほどに爽やかな読後感を与える。周囲から与えられる価値観を無価値だと言って現実を生きることに戻っていく結末などに、「爽やかさ」の裏返しである「甘さ」や「青臭さ」を感じるが、それがかえって良くも悪くも「女子高生の書いた小説」らしさを感じさせる。早熟な作家によく見られる「サリンジャー原理主義」(周りの奴らは皆欺瞞に満ちている、でも一番欺瞞に満ちているのは自分自身、的な潔癖症的性向)の匂いも漂っているし。
「誰でもない自分」が、ネットという「誰でもありえる/誰にもなりえる場所」を体験することによって、自身と世界を肯定していくという、ある種伝統的な「教養小説」の枠組みをもつ小説といえるだろう。(ネットを「旅」の変形と見なす「読み」も出来るだろう。)

この小説の特色はストーリーよりも無手勝流な文体のほうにある。しかし、多くの読点が打たれた長々とした文と、一語のみからなる短い文が、無秩序なほどに混在する文体の呼吸は、町田康の影響下にあることを明らかに示している。(これについては著者自身が、先に朝日新聞日曜版の読書面での「本屋さんに行こう」とかいう本を買うコーナーで、町田の『夫婦茶碗』を「すごい面白かった」とか何とか言いながら再読しようと買っていったことからも、やっぱり影響受けてんだろうなー、と思う次第であります。多分、当たっていると思うけど。)

女子高生という身体に根ざす物語と、文体に魅力の多くを負っているため、この人は次回作に何を書くのか、それも女子高生でなくなった彼女がなにを書くのか、多分難しいのじゃないかと、他人事ながら心配してしまう。